ドイツ生活4年目。振り返ってみると1年間、日々、本当にいろんなことがあったが、1年前の自分と比べると多くの経験値を得て、1回りも2回りも大きくなっているものと思う。来年は、ドイツ生活ラスト(たぶん)の5年目、ドイツそしてヨーロッパに居るからこそできることに注力し且つそれをブログ等を通して、今までより以上に発信していきたいと思う。
2011年の目標(順不同)
ドイツ生活4年目。振り返ってみると1年間、日々、本当にいろんなことがあったが、1年前の自分と比べると多くの経験値を得て、1回りも2回りも大きくなっているものと思う。来年は、ドイツ生活ラスト(たぶん)の5年目、ドイツそしてヨーロッパに居るからこそできることに注力し且つそれをブログ等を通して、今までより以上に発信していきたいと思う。
2011年の目標(順不同)
2011年の目標(順不同)
2007年、2008年、2009年、2010年に引続き、毎年恒例。
それでは。
☆2011年1位☆ 日本vsアメリカ(FIFA女子ワールドカップドイツ大会)
震災後の日本に勇気を与えてくれたという文脈で語られることが多いが、なでしこジャパンの活躍が全世界の人々に日本は終わってないぞというメッセージを発したという意味で、今回の優勝は国民栄誉賞宜しく、とてつも無く大きなものだったと思う。
海堀最高!
☆2011年2位☆ ドイツvs日本(FIFA女子ワールドカップドイツ大会)
ドイツ人は間違い無く、自国で行われる女子ワールドカップでのドイツの優勝を確信していたと思う。個々のタレントでは出場チームの中でも群を抜いていて、正直勝てるとは全く思っていなかったが、ドイツで行われたワールドカップでドイツvs日本というカードを観戦することができ、正しくドアウェーの中、まるかりが点を獲ったときのスタジアムの静けさは今まで経験したことの無いものだった。
☆2011年3位☆ マンチェスター・ユナイテッドvsバルセロナ
サッカーの神様が、今までの自分のサッカーに対する情熱に2011年に、一旦ご褒美をくれたのだと思う。チャンピオンズ・リーグ決勝をサッカーの聖地、ウェンブリーで観戦することができた。マンUとバルセロナという誰もが認める世界一のカードは最高で、試合前の雰囲気も、素晴らしかった。
国連の補助機関、UNDP(国連開発計画)による、貧困撲滅の為のチャリティーマッチがHSVのホームスタジアムで開催された。UNDPの親善大使を務めるロナウド、ジダンを冠とするロナウド・ジダンフレンズには、前日プレミア・リーグを戦ったドログバも参戦し、例のチェルシー繋がりで冬の移籍の布石かと掻い潜ったものだが、どうやらドログバもUNDPの親善大使を務めているらしい。
ロナウド、ジダン、ドログバを始めとしてマケレレ、ダービッツ、フィーゴ、ジダにミチェル・サルガド、カンナヴァーロと正しくそうそうたるメンバーがピッチを彩どるのだが、期待していたよりもパフォーマンスはイマイチでロナウドを筆頭として、この人たちは引退するとあまり鍛えることはしないのだなと、そもそも現役時代と比較すること自体が失礼なのかもしれないが。その中でも、一世代前のルーマニアのスター、ゲオルゲ・ハジが外見は普通のおっさんながらもその名に恥じないパフォーマンスを見せていたことには触れておきたい。
銀河系軍団として、2002年のトヨタカップで見せた鬼の様なパフォーマンスは今となっても頭から離れることは無いが、そのときディフェンダーが後ろにひっくり返るほどの驚愕のドリブルを見せたフィーゴ先生は、おっさんとなった感じを見せず若い。それにしても、この日ベンチ入りのメンバーはHSVのジャージを着ていたのだが、非常にレアな一枚である。
我らがHSVオールスターズも、エニング解任からFink就任までの間、トップチームの監督を務めたカルドソを始めとして、マハダビヴィキアにバルバレスと高原が活躍した時代の中心選手を主としてたくさんのおっさんたちが顔を並べた。その場に、高原が居なかったことが色んな意味で残念だが、バイエルンで活躍する(してないので、帰って来て欲しいが)オリッチがHSVの11番で登場する等、昔からのファン心を十分にくすぐる素晴らしい一戦であった。収益金の3分の2が寄付に回されるとのこと。全額で無いところが非常に興味深い。
日本人の日本人による日本人の為の(失礼)商業都市、デュッセルドルフのクリスマスマルクトへ。この街、何度も訪れたことがあるが、日本食のスーパーや和食レストランが集まる泣く子も黙るインマーマン通りImmermann-str.ばかりで、市庁舎を見たのはおそらく今回が初めて。非常に趣のある、魅力的な市庁舎である。
市庁舎前のマルクト広場Marktplatzだけで無く、旧市街を中心とするたくさんの通りでクリスマスマルクトが開かれていた。デュッセルドルフと言えば、「日本人街」を想像するのが世の常であると思うが、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州都であり、ドイツの中でも有数の都会であることを、認識させられずにはいられない夜であった。
ということで?今回も、ラーメンに日本的な居酒屋にとインマーマンを十二分に堪能し、戦利品として日本酒とはるさめ、日本の本数冊(ソフトバンク特集のNumber含む)をゲットし、さらに今回は初めて日系のホテルにも宿泊し、一時帰国前に日本への妄想を膨らませながら翌朝、意気揚々とハンブルクへと帰宅。
今回、デュッセルドルフを訪れたのに併せて、ボルシア・メンヘングラートバッハにてサッカー観戦をしたのだが、さすが、かつてルール工業地帯の重要な交通拠点であっただけあり、仮に組もうとすればこの週末で下記のスタジアム詣でが可能だったと思う。そして本拠、フォルトナ・デュッセルドルフが来シーズンの1部昇格を伺う勢いであるが、地の利を生かし、是非とも1度は、同じ欧州で頑張る日本に所縁のある選手の応援に行かれてみてはどうだろうか。
【金】(12月2日)
●20時30分 レヴァークーゼンvsホッフェンハイム
【土】(12月3日)
●15時30分 ボルシア・メンヘングラートバッハvsドルトムント
【日】(12月4日)
●13時30分 ボーフムvsAue
●17時30分 シャルケvsアウグスブルク
ちなみに、デュッセルドルフから電車で直ぐに位置する、オランダのVVVフェンロはこの節、金曜アウェイでのゲームだったが、ホーム金曜開催も少なくないようなので、3日間で5試合観戦というスケジュールも夢では無い。しかも、土曜の夜は美味しい日本食が食えるという。
2009年25試合、2010年21試合と観戦し、今年は少ないかなと思って数えてみたら何と25試合。自他共に認める観戦マニアとして我ながら素晴らしい成績。
●ウェストハムvsアーセナル
●HSVvsフランクフルト
●HSVvsザンクトパウリ
●リヴァプールvsマンチェスター・ユナイテッド
●HSVvsケルン
●フェイエノールトvsAZ
●HSVvsドルトムント
●ヴォルフスブルクvsザンクトパウリ
●HSVvsボルシア・メンヘングラートバッハ
●マンチェスター・ユナイテッドvsバルセロナ
●ドイツvs日本(FIFA女子ワールドカップ)
●日本vsアメリカ(FIFA女子ワールドカップ)
●HSVvsケルン
●HSVvsボルシア・メンヘングラートバッハ
●ザンクトパウリvsAue
●バイエルン・ミュンヘンvsレヴァークーゼン
●VVVフェンロvsRKC
●HSVvsカイザースラウテルン
●ドイツvsオランダ
●HSVvsホッフェンハイム
●ニュルンベルクvsカイザースラウテルン
●ボルシア・メンヘングラートバッハvsボルシア・ドルトムント
●HSVvsニュルンベルク
●HSVオールスターvsUNDP世界選抜
●HSVvsアウグスブルク
恒例の?ベストゲームは、後日発表するが、来年はブンデスリーガ全スタジアム制覇をトップ・プライオリティとして、ロンドンオリンピック、そしてハンブルクでのチャンピオンズ・リーグ観戦といきたいところだ。
毎年、年末の一時帰国のお土産にしている其々のスタジアムで買ったユニフォーム。こうやって見ると、日本人選手が如何に増えているかが良く分かる。来年は、誰がどこで活躍するのだろうか。楽しみで仕方が無い。
私に会う予定の方、先着順でご希望承ります。
ドレスデンから車で約1時間、チェコとの国境近くに広がるエルツ山岳地帯に位置する人口約3,000人の小さな村ザイフェンへ。このザイフェンは、「おもちゃの村」として有名で何と人口の内、2,000人が何らかの形でおもちゃに関する仕事に就いているという。
そのザイフェンが最も賑わうのがクリスマスの時期。クリスマスツリーに飾る、木製のオーナメントや、くるみ割り人形そして、このロウソクの熱でくるくると回転するクリスマスピラミッド等を目当てに、たくさんの観光客が訪れる。このようなザイフェン的なおもちゃ、各地のクリスマスマルクトで購入することができるが、ザイフェンでは結構な安値で売られている。言い方を変えると、他では結構な高値で売られているのだが、辺りを見回すと、本当に抱え切れない程の買い物をしている人を多く見掛け、我々も訪問の記念にオーソドックスなくるみ割り人形と、日本へのお土産としてお香を炊いて口から煙が出る人形を購入した。余りにも素晴らしいので、買わないと損という購買意欲に掻き立てられる。
ザイフェンという村(町では無く、村なのでしょうか)は、かつて錫(すず)の採掘で栄え、1日の大半を地下鉱山の暗闇で過ごした鉱夫たちを、暖かい光で我が家に迎えてあげようという心遣いから、民家の窓の装飾に光が多く使われており、今でもこれでもかと言わんばかりに其々の家の窓には色々なおもちゃが飾られ、そこからキレイな光が放たれている。駐車場がある、少し離れたところから街を見渡すと当時の鉱夫が感じたであろう哀愁を十分に感じ取ることができる。
クリスマスの時期には、ザイフェン的なおもちゃや昔の鉱夫に扮した地元の住民たちのパレードが行われ、光の装飾と共に、観光客を温かく迎えてくれる。地球の歩き方曰く「村全体がステキなおもちゃ箱」とは良く言ったもので、街の規模としては本当に小さいが、まるでどこかのテーマパークに居るような雰囲気であっという間に時が過ぎていった。所謂、クリスマスマルクト的なものは無かった(グリューワイン等の出店は有る)と記憶するが、村全体がクリスマスマルクトとなっていると言っても過言では無いだろう。
ドレスデンからの帰り道、ゲーテやニーチェ、森鴎外が学び、学芸の町として有名なライプツィヒへ寄り道。中央駅Hauptbahnhofで、Twitterで当地在住の方に教えて貰った、カレーブルストCurrywurst(美味い!)食って、ゲーテや森鴎外が通った、1525年創業のアウアーバッハス・ケラーAuerbachs Kellerで酒を飲んだだけの自分が語るのもおこがましいが、東ドイツ民主化運動の発祥地ライプツィヒは、歴史ある非常に魅力的な町だと感じた。
さて、ドレスデンでのサッカー観戦を諦めてまで行きたかったのが、かつて音楽の父ことバッハが音楽監督(トーマスカントル)を務め、今もそこに眠るトーマス教会で行われる、民間のオーケストラとして世界最古、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団(オーケストラ)のコンサート。銅像を見て、ぞくぞくっと来たのは大隈重信候以来だ。
この日の曲目は勿論バッハ作曲の、クリスマス・オラトリオWeihnachts-Oratorium。全6部、約2時間30分から成るこの曲は、教会暦に沿ってクリスマスから顕現節(1月6日)にかけての日曜祝日に1部ずつ分けて演奏されるのが本来で、この日はどの部分だったのか定かでは無いが、トーマス教会少年合唱団とのコラボ宜しく、贅沢この上無い、師走の時を過ごさせて頂いた。ちなみに、ソールドアウトとなったチケットは数週間前に1番高い席がたまたま数枚残っていたようで、メールでやり取りして無事にゲットし、当日引き換え。
音楽室に居た体(てい)のバッハ。せっかくドイツに住んでいるのだから、ドイツ音楽のベーシックな所は本当に学んで帰らないといけないなと真面目に思うと共に、ゲーテやニーチェ、それより先に先ずドイツ語をやらないと本気で人として不味いなと強烈に感じた、歴史あるライプツィヒの旅であった。
ドイツに来て、来年1月で早4年。今まで、数あるドイツのクリスマスマルクトの多くを回ったが、メジャーどころで唯一、訪れたことのなかったドレスデンへ。今年、名門ディナモ・ドレスデンがようやく2部に復帰したが、近年では主たるサッカーチームが無かった為、ドレスデンに来ること自体も初めて。この町には小、中、高と同級生だった友達が住んでおり、久しぶりの再会を果たす。アテンドありがとう。
しかし、facebookは本当にスゴイ。
街の建物や石畳を見て、誤解を恐れずに言えば「ドイツっぽくないな。」という感想を持ったドレスデン。第2次世界大戦で、都市に対する爆撃で最も大きい類のものであったという爆撃に会い、多くの建物が破壊され、戦後東ドイツ領として発展してきたこともあるのだろうが、やはりチェコとの国境近く30キロほどに位置するドレスデンは、古来よりいわゆる西側とは異なる文化、芸術、産業にて発展してきたのだろうと想像する。
(全く以て表現がチープにつき、不勉強を反省。)
ザイフェンに近いこともあってか、街のあちこちに木組みの人形の姿を見ることができる。この日もツアー含め多くの日本人を見掛けたが、ドレスデンに向かう朝の電車が間違い無くドイツに来て1番の混みっぷりであったり、ホテルの値段が高騰していたりする点、クリスマスマルクト自体が既にドレスデンの大きな収入源の1つとなっているのだろうなと感じた。
ドレスデンのクリスマスマルクトは、1434年以来、ドイツ最古の歴史を誇り今年で577回目。これだけで十分、驚き桃の木どうのこうのだが、さすが、出店している屋台も相当バラエティに富んでおり、其々の地域で特徴のあることが1番の面白さであるクリスマスマルクトに敢えて、ランキング付けをするという暴挙に出たとしたらおそらく、少なくともトップ3には位置してくるのレベルの(何の?)高さだ。サッカーチームもそうであるが、やはり歴史というのは現状を構成する重要な要素の1つだなと改めて実感する。
今月号の特集は、警告-目覚めよ!日本-
今年1月に購読を開始した大前研一通信も、今回12月で年間購読が終了。今後も購読を継続することは言うまでも無いが、1年間の特集を並べてみると、東日本大震災後、復興へ向けてそして日本という文脈で多くが語られていることが分かる。
●2011年1月号 お金の流れが変わった!
●2011年2月号 お金の流れが変わった!Part2
●2011年3月号 洞察力の原点
●2011年4月号 (緊急)福島第一原発事故
●2011年5月号 日本復興計画
●2011年6月号 日本復興計画PartⅡ
●2011年7月号 日本復興計画PartⅢ及び営業学
●2011年8月号 原発問題と今後の日本
●2011年9月号 "脱日本"、現象の危機!
●2011年10月号 「リーダーの条件」が変わった
●2011年11月号 特集1訣別、特集2「リーダーの条件」が変わったPartⅡ
2011年、大前さんは「日本復興計画」に代表されるようにスピード感を持って次々と著作を出版され、現状を踏まえた上で今後日本がどうしていくべきかという文脈で主に語られていたが、今月号を見るとその財政赤字問題を中心として日本は「ヤバイ」という現状認識で終わり、それを踏まえて個人としてどうすべきかという視点で書かれている。
以前より、大前さんは世界経済には「四つの地雷源」すなわち、「ヨーロッパのソブリンクライシス(国家債務危機)、リーマンショック以降、低迷長引くアメリカ経済とドル危機、中国の不動産バブル、そして日本のギネス級の国家債務問題である。」と指摘されており、個人的には2011年は日本を除く3つの地雷の存在が顕在化した年だと思うし、その点については大方異論は無いだろう。そして、今月号を全体を通してざっと読み終えたときに、4つめの地雷原に火がつくのも本当にそう遠く無い話なのでは無いかと大前さんの今までに無い悲観的な論調から感じてしまった。日本が財政危機に見舞われたときに起きるのが、歳出半減、税金倍増(45兆円の税収に100兆円の予算)のバジェットカットと「ハイパーインフレ」だという。将来を見据えて、今持ってる資産とこれから稼ぐ資産をどう運用していくか(勿論、どう稼ぐかを含めて)自ら学び行動していかないと大変なことになるなと思う、今日この頃である。
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