EU(欧州連合)加盟国27ヵ国の訪問を終え、バルカン諸国のうちEUに加盟していない、旧ユーゴスラビアの大部分(EU加盟候補国のマケドニア、モンテネグロ、セルビア及び潜在的加盟候補国ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ)そしてアルバニアへと触手を伸ばす。
ドナウ川とサヴァ川の合流地点に広がるセルビアの首都、そしてかつての旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードを訪問。週末には周辺諸国からたくさんの人が訪れて、「ヨーロッパで最良のナイトライフの街」とも表現される人口170万人を超える旧ユーゴ最大の都市ベオグラードの夜を楽しむという。訪れた日の土曜日も、街の中心、ホテルの周りではうるさくて眠れない程の大音量が深夜まで続いた。
セルビア、ベオグラードと言えば、何をイメージするだろうか?
サッカーファンにとっては、現名古屋グランパス監督、ピクシーことドラガン・ストイコビッチの存在があまりにも有名だがやはり、1999年いわゆるコソボ紛争のNATOによる空爆のシーンをイメージするだろう。
ピクシーが当時Jリーグで、「NATO STOP STRIKE」というアンダーシャツをあらわにするシーンも記憶に新しい。
正直そんなイメージだけで、経由地のミュンヘンから飛行機で降り立とうとするベオグラードを見下ろすと、めちゃめちゃ緑が多くてレンガ色の家が並びキレイなのです。当日、ハンブルクがまだ10度を切るなかで30度近くまで気温が上がり、街の雰囲気も最高なのです。
町の中心には、コソボ紛争でNATO軍により空爆を受けた旧セルビア軍参謀本部がそのまま残されており、当時の爪痕を残す。
ちょうど先日、EUへの加盟交渉開始の条件とされていたセルビアのコソボとの関係改善合意が、双方の政府によって承認されて正式に成立し、セルビアとEUの加盟交渉開始が欧州委員会によって勧告された。
ドナウ川とサヴァ川の合流点を見下ろす小高い丘の上に建てられ、2世紀から18世紀の間に数々の戦いの舞台となったベオグラード要塞があるカレメグダン公園には、軍事博物館が併設し、ローマ時代から撃墜されたアメリカのF-117ステルス機まで、2万5千を超える幅広い軍事に関する展示物を収蔵している。
戦車に乗っておしゃべりする、そんなのどかな公園を歩いていると後ろから「いち、に、さん、し、ご、、、」と指を折り曲げながら日本語で数をかぞえる若者2人組が現れ、そのあと(たぶん)セルビア語で写真を撮ってくれと言われたので彼のニコンのカメラで記念にパシャリ。
一緒に写真を撮ってカネをふんだくられるのは良くある話だが、純粋に(おそらく)日本人代表として写真を撮ったのはスタジアムは別として、今までで初めて。
そのまえには、中高生ぐらいの女の子の集団から「こんにちは。」だのどーのこーのと日本語で声を掛けられた。どうやら、これも良くある単に馬鹿にされているような感じでも無さそうで、日本人がよほど珍しいのか、はたまたピクシーの影響力がここまで絶大なのかと疑問に思っていたが調べてみると、
「日本文化や武道に対する関心の高さ、旧ユーゴ紛争中に欧米諸国が一様に反セルビア的立場をとっていた時にも、日本は比較的中立的な立場を維持したこと、そして、日本による対セルビア経済協力の実施がセルビアの人々の親日感情を高めています。」[*1]
とのことで、どうやらセルビアは非常に親日的のよう。そのほか、日本が提供した「from the people of Japan」の文字に日本とセルビア・モンテネグロ(当時)の国旗を組み合わせた黄色いバス、通称“日本人”が今もベオグラード市内を走っている。
さらに、日本赤十字社のアーカイブが見つからない為、今となってはソースが確認できないが、東日本大震災後の7ヵ月後(2011年10月11日現在)の段階でセルビアから寄せられた海外救援金[*2]の額が5番目、ヨーロッパでは1番目だったことで、震災後、いち早く援助を差し伸べてくれた国としても知られているとのこと。
セルビアとは言っても、ベオグラードの主要な観光地を訪れただけなのは十分理解しているつもりだが、訪れる前と後のイメージがここまで異なる国は初めて。今までセルビア(旧ユーゴスラビア)に関して自分が得る情報があまりにも偏ったものだったと言えるのかもしれない。
[*1] http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/mail/bn_207.html
[*2] http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002501.html
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