昨年、ルーマニアで非常に痛ましい事件が起こりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
ドイツ滞在中に、ヨーロッパの全ての国に行くぞ!と決意して始めた欧州制覇の旅も、ついに一旦ファイナル。
EU(欧州連合)加盟国27ヵ国中、27ヵ国目の訪問となるのは、ブルガリアと共に現状では最後となる2007年にEUに加盟し、北にウクライナ、北東にモルドヴァ、東は黒海に面し、EUで最も東に位置するルーマニアの首都、ブカレスト。
1989年の東欧革命により、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなどの東欧諸国で共産党政府が打倒され次々と民主化する中、治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こって多数が犠牲となり唯一、武力による革命となったルーマニア。
それまで独裁者として君臨していたチャウシェスク大統領が宮殿として造らせたという国民の館は、その外観を見た瞬間に身の毛もよだつような外観であった。
ブカレストでも最も古い旧市街を壊して造らせた、国民の館を起点として約4キロメートルにわたってブカレストの街を走り抜ける統一大通り。
メガロマニアと呼ばれたチャウシェスクがパリのシャンゼリゼ通りと寸分違わない幅と長さを実現しようとしたといわれるが、幅が6メートル広くなってしまったといい、今となっては人通りも少なく非常に閑散としている。
建築物としては、アメリカ国防総省ペンタゴンに次ぐ、世界で2番目の大きさを誇り、その部屋数は地上10階地下4階に、3,000を超える。統一大通りの端から見ても、そのデカさが十分に分かるが、国民が貧しい生活を送る中、よくもこんな建物を造れるなと感心してしまう。
権力というものはまったく凄まじいなと。
1989年のルーマニア革命で、政権が倒されたのを機に、建設計画の7割程度の完成をもって建設が一時中断されたが、建物が着工したのが1983年。贅沢の限りを尽くした内装を持つこれだけの建物をよくもこのスピードで建てたなと感心してしまう。
国民の館の見学は、正面に向かって右側面の入り口から入り、ガイドと一緒に館内を回る。約1時間半のツアーだったが、その間に見て回ったのが何と!建物全体のたった5%。あまりに大規模で管理ができないために、一部の公開となっているとのこと。
横に回って見ても、正面入り口ですか?と言わんばかりのデカさには脱帽せざるを得ないが、チャウシェスクが何を思って、この建物を建てたのか?
単に私腹を満たすためのものだったとは到底思えないのだが。
ルーマニアの長い歴史の中で、繰り広げられてきた民族抗争に関する資料が展示されている国立軍事博物館。時系列での展示がおこなわれており、1989年民主革命の市街戦の当時配布されたビラ、戦死した市民の遺品、写真などが当時の激しさを物語る。
第1次世界大戦の勝利を記念して、1919年に建てられた凱旋門。当時のブカレストは、「バルカンの小パリ」と呼ばれていたというが、チャウシェスク含めてどれだけパリに憧れているんだと。
そのときの記憶は定かでは無いが、テレビを通じて全世界に報じられた1989年の民主革命の銃撃戦の舞台となった革命広場に足を踏み入れて、同じEUと言っても、それぞれの国の歴史や文化など全く違うなと改めて感じた。
それこそ、(これだけ陸続きなので当然と言えば当然であるが)過去に戦火を交えた国同士が少なくとも同じEUとしての枠組みの中では志を共にしている点は凄いことだなと。
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