コットブスで活躍する相馬選手の奥様のtwitterでのつぶやきから、スカパラがベルリンに上陸していることを知り、翌日のハンブルクでのライブへ行くことができた。凄まじき、twitter。
スカパラと言えば、既にJ-POPシーンを彩るメジャーアーティストであるが、自分もミーハー的にCDを複数所持させており、テンションを上げ上げさせて頂いている。ライブは、初めてだったが、ゴッドファーザーのテーマから始まり、お決まりのWhite Lightで大盛り上がり。おそらく、この日スカパラ目当てにライブに来ていた輩はほとんど居ないと思うのだが、曲が進むに連れてデカイドイツ人が前に押し寄せて、盛り上がること盛り上がること。己のパフォーマンスで、一発でドイツ人を虜にするその姿が同じ?ドイツ人を相手にする自分に取って、凄まじくカッコよく思えた。ま、ふつうにカッコいいんだけれど。まさに、プロフェッショナル。
この日のライブ会場は、ザンクトパウリのスタジアムから目と鼻の先にある、こじんまりとしたライブハウスKnust。観客総勢で100人も居なかったと思うが、個人的にはかぶり付きで、まー堪能させて頂きました。何年か前にもハンブルクに来たらしいが、また宜しくお願いします!赤字でしょうけど。
我らがHSVと並び、ハンブルクをホームタウンとし、ブンデスリーガ2部に所属するザンクトパウリの1部昇格記念パーティーに参加する為、ハンブルクが世界に誇る歓楽街、レーパーバーンへ。
HSVがカップを獲った場合は、市庁舎でパーティーが行われるらしいのだが、ザンクトパウリに市庁舎は貸してくれないだろうし、レーパーバーンはHSVには開放しないのだろうが、ハンブルクという同じ街にありながらも、全てに追いて全く性格の異なるチームであることが魅力的過ぎる。ザンクトパウリは、レーパーバーンの目と鼻の先にスタジアムと持つ訳だが、イメージとしては中洲やすすきのにスタジアムがある感じ?チームカラーが黒であり、ドクロのマークが旗に記されていたり、ポップで活かしたビールASTRAがスポンサーであったりと個性的で抜群の人気を誇る。ハンブルクに来て、初めて試合を見たときには、余りにも下手だったので、1部昇格なんて夢のまた夢だった訳だが、HSVの凋落を尻目に、まさかの昇格を果たすこととなった。
HSVにファン・ニステルローイ先生が来たことで、名実共にビッククラブとなり、シーズンを堪能させて頂いた訳であるが、やはりザンクトパウリというチームが持つ匂いは一味違った非常に素敵なものである。先生が居る限りは、HSVファンで在り続けると誓った訳だが、ワールドカップの代表に洩れ、来シーズンも居てくれるかどうかは疑わしいところ。スタジアムのキャパが小さいので、1部に上がったザンクトパウリの試合を見るのは困難必須と思われるが、シーズンチケットの可能性を探りつつ、来シーズン以降、どちらに着くの熟慮していきたい。本当に昇格おめでとう!
お断りしておきますが、私はドの素人です。例によって、単に通ったことの無い道を選ぶ旅人です。
ジョン・ノイマイヤー率いるハンブルクバレエを初体験してきました。良く日本に来日しており、その際のチケットは数万円を優に下らない訳ですが、チケットの値段は席によってピンキリで、1番安い席は10ユーロを切ります。これぞ、文化というものでしょう。本日は、トマス・マンの「ベニスに死す」、当然ながら?ストーリーは全く知らず、バレエに関する知識も全く無しの文字通りの白紙状態で、歌劇場へ乗り込む。
休憩を入れて約2時間半。バレエの定義は、歌詞・台詞を伴わない舞台舞踊とのことだそうだが、ストーリーを前提として、音楽と完全に調和した形で、体一本で良くあれだけの表現ができるものだと素直に感動。一部分かる部分もあるが、全体を通したストーリーは正直、分からなかったものの(後から、ストーリーを調べてみたところ、なるほどと。)不思議な程、エンディングに向けて盛り上がりグッと来るものがあった。例によって、カーテンコールが永遠と続き、拍手と歓声が鳴りやまず、何とも言えない充実感を得て帰路10分ほどで家に着く。バスで訪れている団体客も多くいたが、ベルリンフィルとは違って、ほとんどが地元、ハンブルクの人のような感じがした。開演前に一杯やり、休憩時間に一杯やり、終わった後に一杯やり、近くのカジノにでも行くのだろうと、「神々達の遊び」のような至福の週末の過ごし方である。恐るべし、ドイツ。定期的に、スケジュールをチェックしてまた来よう。次回は、白鳥の湖とハンブルクのフィルも見たいな。
ハンブルクバレエ学校の生徒か、列記とした劇団員か、日本人と見られる女性の方が舞台に立たれていました。こっちの分野で活躍されている日本人は本当に多いなと先日の、ベルリンフィルに引き続き、感じました。己も頑張らないと。
2年前の、2008年1月27日に孤独に渡独してから早2年。当時の社長が、慣れるまでに2年は掛かると言っていた(と記憶しているが。)、その2年が経過した、ざっくり振り返ってみると人間としての幅が広がり、そのまま日本で2年間を過ごしていたよりも明らかに良かったような気がする。但し、あくまでも主戦場は日本である。以後は、ハンブルク後を見据えた生活を、より日本というものを意識しながらの生活を送って行きたいと強く思う。そして、せっかく5年も居る(予定)なのだから、英語とドイツ語は喋れるようにならないと。
と抱負に書いてスタートした2009年。とりあえず、体を朝型にすることには成功した。夏場は相当、走った気がする。ただ、暗黒の冬になると相当厳しいのは実感。とにかく、外が暗いので目が覚めないのである。そして、雨が多いので物理的に非常に走りにくい。基本的には、ヨーロッパの北側に住む限り、冬は黙って大人しくしておく他無いのだろう。そして、ブログもある程度、書いたかなという印象。とは言っても、内容的にはほぼサッカー観戦記に終始している為に、どうかと思うのだが、まぁ良しとする。twitterをとりあえず、初めて見たのも収穫か。
11月末から、ジェノバ→シュツッツガルト→ケルン→ロンドンと毎週飛びまくり、帰国前の週末は御膝元ハンブルクで過ごす。数ある市庁舎の中で、やはりハンブルクが1番カッコイイと思うのは、私だけでしょうか。
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