1949年、西側管理地区がボンを首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)となり、ソ連管理地区が東ベルリンを首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)として成立し、ドイツ分立が決定。その後、東ドイツで50年代末に農業集団化が推進されると、東ベルリンから西側に脱出する人々が増えた為、脱出を阻止する為、ベルリンの壁を築いた。
数々の栄光を誇る、西ドイツ代表が1974年のワールドカップ西ドイツ大会で皇帝ベッケンバウアーを擁し、2度目のワールドカップ優勝を勝ち取る一方、この大会での二次リーグ進出という結果が東ドイツ代表のワールドカップにおける最高の成績。ちなみに、この大会の一次リーグ最終戦で最初で最後の東西ドイツ対戦が実現し、東ドイツ代表が1vs0で西ドイツ代表を下している。この会場が、何とHSVのホームスタジアムである
そんなベルリンの壁へ遅ればせながら。今回訪れたのは、ベルリンの壁1.3キロメートルに世界各国のアーティストが壁画を描いたイーストサイドギャラリー。この日は寒すぎて、そして正直なところまた来ることができるので、壁の端っこだけ見て退散したのであるが、この写真のように東側に立ち西側を見据え、当時の様子を自分なりに想像してみただけで十分に得るものがあったような気がする。次回は、きちんと1.3キロを歩き切ると共に別の場所に在る壁博物館、チェックポイントチャーリーハウスを訪れたい。
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